書評入門。 #002 ファントム/スーザン・ケイ


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1991年出版。ガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」に登場するファントム、エリックの生涯を様々な人物の視点から描いた群像小説。

この本を読んでいる間、別世界へいたように感じました。エリックの生涯を本人の視点や母親、友人の視点から追っていくこの作品は、一人称視点で描き続けるよりもより鮮明にエリックという人物を浮かび上がらせています。

天賦の才を持ちながらその悍ましい風貌から人々に忌み嫌われ、母の愛すら受けられず、自らも人を愛する術を知らない怪人に、なぜか同情のような、憐れみのような、しかし尊敬の念を覚えながら、という複雑な感情を抱きます。

音楽、建築、科学、人々を巧みに操るその美声、悪魔のような人心掌握術を兼ね備えたこの天才はまさしく怪人と呼ぶにふさわしい。好奇心から彼のマスクを剥ごうとしその素顔を見ては恐れおののく愚かな人々に対する憎悪と、動物や子どもなどのか弱き存在への慈愛の精神を兼ね備えた彼の複雑な人間性も「ああひょっとするとこんな人間がいてもおかしくないかもしれない」という、非現実的ゆえにリアリティを感じるというこれもまた形容しがたい気持ちもしました。

訳文は明快で、違和感や読みづらさを感じさせません。また筆者の背景知識も非常に豊富で、オペラ座建築の軌跡をしっかりと辿り、当時のフランス文化への興味も湧かせます。

「死にもいろいろあることを覚えておいてほしいだけだ。死の中には、見ていられないほどつらく苦痛に満ちたものもあれば、日が沈むように穏やかで美しいものもある。私は芸術家だ。私のパレットには色とりどりの絵の具がある。あの子を虹色に染めさせてくれないか。そして、それを消す手伝いも…」

生と死、芸術、親子の愛と友情と、テーマは盛り沢山なのですが、そのどれも中途半端にならずくっきりとした輪郭線を帯びて、心に残ります。

思いっきり小説世界へ浸りたいときに、ゆっくりじっくりと読書を楽しみたいときに手にしてみてください。